fc2ブログ

前後截断録 第74回

一乗谷へ


 歴史好きの人にとって、一度訪れたら忘れられないといっていい場所が必ずあるはずだ。私にとってそれは越前の一乗谷である。一乗谷は越前、福井市の南郊の山峡にある。戦国時代に栄えた朝倉氏の城館の址である。

 この一乗谷へは、これまで何度か足を運んでいる。とはいっても、朝倉氏について詳しく勉強したことはない。朝倉氏の歴史の跡よりも、私は一乗谷そのものの風光を好む。精確にはいえないが、山峡の南北を遮断された隘地にはいまだ過去の歴史が往時のまま封印され、密かに息づいている気配がある。その「気」に私は惹かれる。

IMG_8469.jpg
○令和5年9月。上泉流の兵法書では、このような鱗雲は凶兆とされる、大河ドラマの女城主直虎に因んで浜松の平野美術館で展覧会を催した節、遠州井伊谷を訪ねた時も空はこのようであった。現今、少なくとも気候その他世情は安定していない。

 一乗谷訪問は前後三回ある。初度は五十を過ぎたばかりだったから、およそ三十年もむかしである。この時の記憶は明らかではない。ただ、帰路にアクシデントの苦い思い出がある。

若き日の先生(一乗谷)
○最初の訪問の頃

IMG_8571.jpg
○近影
 夏の真っ只中であった。帰りの車で真夏の風に当るのも悪くないということで両サイドのウインドを全部あけて走ったところが、夏風にまともに吹き当たられるのは短い間ならともかく、長いのは辛い。窓をしめてクーラとなったが、クーラ浸りもよろしくない。そこでウインドをおろし、窓をあけて走る。暫くするとやはりまた暑い。面倒やな、閉めるかーと自動のスイッチを押したが反応がない。何度やってもビクとも動かぬ。——こりゃ、故障やがな!もう手遅れである。窓は閉まらない。そこからの地獄といったら言語に絶する。もともと歴史に何の興味もないつれ合いは文句を言うこと頻り。夏風の当たりぱなしは車中のクーラーの効き過ぎ等とは比較にならない。

 ともかく苦心(身、辛)惨憺して帰路したがその日は終夜熱風に当たっている感覚から遁れることができなかった。
以上が一乗谷初見参の記憶である。史蹟で気に入ったのは、お湯殿の跡の庭園。これは御殿跡の近隣で、すぐに行けたせいもあるが、実に気持ちのいい古苑庭であった。

 それ以来、再訪は今から六、七年前のことである。福井の近くの鯖江というところの歴史資料館から講演を頼まれて、終ってから館の学芸の方に案内されて一乗谷へ赴いた。

一乗谷にて前田さん藤田さんと先生記念撮影
○鯖江市にて講演のあと。(鯖江市まなべの館、前田主査の案内にて)


久々の訪問ゆえまず懐かしさが蘇った。こういう訪れも、大袈裟にいえば運命である。神、仏の差配によるものだ。この地への再びの訪れは、こちらが企図したものではない。それだけに、何か有り難さが身に沁みた。
一乗谷は「谷地(やち)全体」が史蹟である。山上にも多くの要塞があったはずだが、そちらはまだ本格的な発掘調査は行われていない様である。前記した鯖江の資料館の学芸の人に案内され、再現された城下の町を歩いたあと、お湯殿の庭園へゆく。朝倉氏御殿跡のすぐ南方の丘上にあった庭趾は前回同様に人影がなく、適当な庭石の上に腰をおろさせて貰って目を閉じると、全ての刻が時空を超え現在に蘇ってくる。いろんな事共が現前するのである。
この湯殿の庭園に朝倉家の当主やゆかりの人々はどんな想いで対したのであろう。誰のことと人名を特定し想起するには、私の知識は貧弱すぎる。むしろそんな作業は無用のことと思われる。
お湯殿庭園のあと、「諏訪殿館趾」の庭園をみた。感想は前のお湯殿と大差ない。”つわものどもの夢のあと”というのはこういう場処をいうのであろう。そこら中が時代の怨霊に満たされている。むしろその寂びの内には、妖気が漂っている。我々がその庭地を「美」と錯覚させるものの主体は、「妖気」である。このことを明確に意識させる遺蹟の第一は一乗谷といって過言ではない。

一乗谷お湯殿跡

さて、今回の訪問は前にも書いたが三度目である。新しくできた「福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館」の特別展に朝倉市由縁の鎧(胴丸)と兜(総覆輪阿古陀形筋兜)を貸し出し、資料協力したので、その見物がてら『朝倉遺跡』の「歴史の気」を吸いにでかけた。その底の心を端的にいえば、展覧会を出しにしてあの遺跡をもう一度見ておこうというところであった。

展示場となった「一乗谷朝倉氏遺跡博物館」の建物は結構なものであった。通路に段差があって、足腰の弱った一般の八十超え老人には転倒要注意の造作である。

 戦国の館の造りようは廊下に曲がりを多くし、更に段差をたくさんしつらえた。これは敵の侵入に際して手間ならぬ足手間をかけ音がたつようにするのが目的であったが、この新しい建物がそこまで古建築について考証した上でのことであるか否かは知らない。しかし、足腰、膝の悪い人には面倒な家屋のしつらえであることに間違いない。怪我人が出ないといいが。

 入場者は少なくなかった。その人混みの中を早目に切り上げ、ふたつの庭園を再訪する。

IMG_8455.jpg
○諏訪殿館庭園にて(令和5年9月)


 時代の怨霊たちに会うが為である。停止された時代の化性たちは、あの二つの庭に集住して、何ものかを訪れる歴史の縁者たちに訴えているのだ。姿はもとより声もどこからも現実的には聞こえないが、やはりこの世ならぬ何ものかの気配と声を感じるのである。諏訪殿館趾、お湯殿造趾のふたつの庭園をみる。私の感激は、石の配置やその寂び色、おそらく当時も今とかわらない形色(けいしょく)をしていたと思われる姿形にある。この両庭がいつ造作されたのかその正確な時期は素人の自分にはわからないが、畢竟するにこの両庭は今も生きているのだ。誰か彼か、数知れぬ人々の脈々とした血の流れと息遣いが窺える。みればみる程、心は沈静もし、また騒ぐ。これを「昂奮」といってしまえば簡単だが、この心の昂りは他では容易に味わえない。歴史の彼方の貴人たちの右往左往、去就もここでは単なる影絵であり点景にすぎない。それは今も続いている。

IMG_8421.jpg


 改めて訪問したこの日は人が少なかった。観光客は資料館の方には多かったが、こちらは閑寂なのが有り難かった。ここを訪れたのはわずか数年前だが、私を取り巻く周囲の人事は悉く変った。そんな中である不変をみるのは安らぎではあるが、その安らぎは「無常」ということである。八十路に踏み込むとこの「無常」は「常住」を伴う。朝倉氏の滅亡に、もはや血の臭いは感じない。ここでは歴史の悲劇はすぐれた一個の美と化している。旅人は無責任な感想を呟いて去るのみである。

IMG_8435.jpg

IMG_8462.jpg

IMG_8485.jpg


(6.4.1)
スポンサーサイト