fc2ブログ

前後截斷録 第67回

川手主水覚書(速報版)

(八)若江堤 -1


 主水が死地を求めて待ちに待った大阪豊臣氏討伐再征は、翌元治元年夏に訪れた。いわゆる大坂夏の陣である。四月六日、井伊軍は戦備を整え軍列整々と彦根を出陣した。その従軍兵数は史料によって区々であるが、その肩の詮索考証は執筆中の『井伊直孝軍記』に任せるとして実戦斗員の総数はおよそ3000人余(総員約五千人余——井伊年譜)であったとみられる。

 四月八日伏見に到着。井伊軍はこの伏見に二十日余り逗留した。この日数は今後要する戦争のための諸用品を整えるために必要な時間であった。いうまでもないが戦いは第一に金銀が要る。その調達は国許彦根ではできない。他に兵糧米や軍馬の飼料、その他欠損するであろう刀槍、甲冑類の予備調達と刀匠鍛冶の手配諸々いちいち枚挙に遑がない。それらが首尾よく整うと、大坂へ向って発足、四月二十九日宇治から淀を経て津田へ進軍し五月三日、大坂へ向う奈良街道に沿って陣を配した。

——


 そしていよいよ井伊直孝や主水の運命を決定する五月六日がやってきた。井伊軍は前夜南河内郡の若江に駐屯し、大坂城より進撃してくる豊臣軍を邀撃する態勢をとった。早朝に全軍朝飼を摂り腰に昼の弁当をつけた。先鋒右備川手主水景倫、同左備庵原助右衛門朝昌(冬の陣で負傷し本陣控えとなった木俣右京に代る)、旗本主将井伊直孝、後備奥山六左衛門という簡勁な陣形は冬の陣以来だが、平場での備立ては先代直政以来のことである。

 朱の甲に金の大天衝と白熊をなびかせた兜を着装した主将直孝の姿をみて、「あら嬉しや 泰安(直政)様の再来をみるようじゃ」——このとき旗奉行に任じていた甲斐武田の老将孕石備前は半分泣くように叫んだとつたえる。


直政 五本菖蒲大天衝脇立付具足(うす緑)
井伊直政所用 五本菖蒲大天衝脇立具足


 しかし直孝はしばらくして兜を脱いだ。ふつう戦前に兜を脱ぐのは縁起が悪いものとされるが、実用時代はそんなことをいわない。あく迄臨機応変である。天辺に穴のないヘルメット型の頭形兜は、頭に密着して暑熱に堪えない。若江表は昨夜意外に寒かった。ところが黎明から気温が上り、周囲に霧が立った。それがはれる頃、斥候に出ていた埴谷宮内(名を「般若」と記すものもあるからハンニャと呼称した。ふつうに読めば「ハニヤ」である)が馳せ戻って、敵影がこちらに向っていることを告げた。

 たしかに大坂城の方角の街道筋に白い土埃りがあがっている。本陣に詰めている岡本半介宣就が問うた。

「——あれなるは敵か否か」
宮内が応える
「——御敵に候」
土煙りは街道の前後から上がっている。周囲は一望田野ないし沼沢ばかりであるから、進軍してくる敵情はよくわかる。
「前後二隊一軍に窺えるが如何」
半介が問うのに宮内が間髪を容れず
「——否(いや)それぞれ別隊に候」
半介は間髪を入れず問う、
「その見切りは何故ぞ」
それに対して宮内が答(いら)えた要意はこうだ。

 本来一軍であるが作戦上二隊に分かれている場合は、後軍の先頭は前軍先頭と同じ行軍列を採らない。ところが彼(か)の軍勢は後先頭も前軍先頭と同じ軍列を以て旗持先頭、次に長槍、弓などと続いている。要点は旗持足軽が後軍も前軍同様に配されている、これはそれぞれが別隊別軍であることを示している証拠であると。——

 しかし半介は尚も問うた。
「——それは敵の策略ではなきか?」
この時宮内は兜の眉庇越しに半介をきっと睨んで云い切った。
「それがし、他家の軍中に於て斥候に出でしこと数多これあれど、いまだおのが見切りを誤りたること一度もこれなし」
これを聞いて主将直孝が叫ぶように
「——宮内の言や見事なり。誤りなからん、イザ、往くべし!」

 直孝はこの時鎧の胴紐の結び緒を、脇差を抜いて切り捨てた。この一戦に勝たなければ再び甲冑の胴をぬぐことはない——という決意を表明したわけである。


(続)
スポンサーサイト



前後截斷録 第66回

川手主水覚書(速報版)

七 主水の怒り-3


掲載用旗
主水所伝の旗(一部)凡そ縦140cm 横45cm


——倅(せがれ)主水はまだまだ未熟の若者にござる。お心入れよろしく頼み申す

これに対し万沢が代表して

「——何の仔細はござりませぬ。お心安らかに・・・あとのことはわれらにお任せあれ」と胸を叩いた。

 この対話の意味するところ、父康安(しげやす)は倅主水の生命の保証を依頼したのではない。経験の少なき若者ゆえ、未練な振舞いはさせてくれるな——という請いである。
対して万沢は何の仔細もない——と答えた。ナニ、命はとうに捨てる覚悟にござる——もとよりそのことについて仔細はあり申さぬ、といったのである。

「——ならば安堵致した」
 康安は一同に向って微笑んだ。父康安が、子の主水や従士たちにみせたこれがはじめての微笑であった。その表情に刻まれた深い皺の数々には、歴戦高名の古疵がかくされている。

 暫くして主水がいった。拙者の馬はどうも走りが鈍うござる——
「——お父上の御自慢のあのアオ(青の馬)を我が一期の餞けに賜りとう存じまする」
 もとより父康安は主水の覚悟を知っている。これを断る理由は康安にはなかった。既に酒宴の場は用意されつつある。盛儀の仕度は整ったのである。康安は諾した。良かろう。わしも何かそなたに餞別をと思案しておったところじゃ。そういって主水の兄重成に目くばせする。

 庭先に重成に牽かれてあらわれたのは一頭の毛艶も見事なアオの馬である。その名にふさわしく漆黒の鋭い馬躯、四肢でさかんに庭の土を蹴り踏む、みるからに馯(かん)が強そうである。頻りに首を上下左右に振り眼を眩(いか)らせてくつわの喰みを噛み鳴らし、早や白泡吹かんばかりである。

 主水はアオの眸を凝乎(じっ)とみつめた。こいつが、俺と最後を倶にする最も信頼すべき朋になる筈だ。因みに主水最期の愛馬となった馬は単に「アオ」と伝えられているが、実際は名があった筈である。しかし今は伝わっていない。



掲載史料の所蔵先は特に断り書きしない限り筆者所蔵に係り、
本稿は著作権法によって保護されています。