前後截斷録 第61回
主水のうしろ姿を追って 3
(五)主水と右京 直孝を廻る意趣のはじまり
冬の陣は大変寒かった。手に持った槍柄を誰かがポンと叩くと、簡単に取り落としたという記録がある。手が寒さでかじかんで、容易に握り返すことができなかったのである。
主水と右京のその後の人生を決定づける日は、慶長19年12月4日朝に訪れた。その日は前日より暖かであったらしい。霧が出た。それも大変深い霧であった。一間先がもうみえない。しかし井伊軍から窺うと、越前松平・加賀前田両勢ともその深い霧の中を真田丸の堀際にむかってじわじわと寄せている気配が頻りである。井伊勢も遅れるわけにはゆかぬ。
先手木俣守安は隊下を卆いて霧の中を前へ出た。同勢鈴木主馬隊も前へ出る。もちろん気配を察した越前勢、加賀の両勢も前へ出る。
真田丸へ向かう寄手全軍が、前へ出る。遅れてはならぬのだ。頻りに前へ出る。
井伊軍のこの時の構成、いわゆる陣備え、構えは上記の通り先手二備えで、木俣、鈴木。そしてこれから叙述の主人公となる川手主水隊は奥山六左衛門組と共に、後備の両翼として詰めていた。川手、奥山両隊も先手に間をあけじと前へ詰めてくる。
その背後には、井伊直孝卆いる旗本本体が控えているが、その旗本自体も少しづつ真田丸堀際に押し出してくるようである。事実はそうではなかったが先手及び二の手の木俣や川手勢は、味方の旗本本隊迄もが犇犇(ひしひし)と自分の背後から追い迫ってくるような威迫感を感じた。これは井伊先隊の軍兵たちが一様に感じた強迫的ストレスであった。ここで遅れをとっては、再び「男」として振舞うことはできないという恐怖である。
深い霧と、かすかに感じられる朱の大旗の数多の絹擦れの音が、往け往け!と追い立ててきたのである。但ここが重要である。寄手全軍にいまだ攻撃命令は発令されていない。
ここで右京は、思い切った行動に出た。
(続)
掲載史料の所蔵先は特に断り書きしない限り筆者所蔵に係り、
本稿は著作権法によって保護されています。
(五)主水と右京 直孝を廻る意趣のはじまり
冬の陣は大変寒かった。手に持った槍柄を誰かがポンと叩くと、簡単に取り落としたという記録がある。手が寒さでかじかんで、容易に握り返すことができなかったのである。
主水と右京のその後の人生を決定づける日は、慶長19年12月4日朝に訪れた。その日は前日より暖かであったらしい。霧が出た。それも大変深い霧であった。一間先がもうみえない。しかし井伊軍から窺うと、越前松平・加賀前田両勢ともその深い霧の中を真田丸の堀際にむかってじわじわと寄せている気配が頻りである。井伊勢も遅れるわけにはゆかぬ。
先手木俣守安は隊下を卆いて霧の中を前へ出た。同勢鈴木主馬隊も前へ出る。もちろん気配を察した越前勢、加賀の両勢も前へ出る。
真田丸へ向かう寄手全軍が、前へ出る。遅れてはならぬのだ。頻りに前へ出る。
井伊軍のこの時の構成、いわゆる陣備え、構えは上記の通り先手二備えで、木俣、鈴木。そしてこれから叙述の主人公となる川手主水隊は奥山六左衛門組と共に、後備の両翼として詰めていた。川手、奥山両隊も先手に間をあけじと前へ詰めてくる。
その背後には、井伊直孝卆いる旗本本体が控えているが、その旗本自体も少しづつ真田丸堀際に押し出してくるようである。事実はそうではなかったが先手及び二の手の木俣や川手勢は、味方の旗本本隊迄もが犇犇(ひしひし)と自分の背後から追い迫ってくるような威迫感を感じた。これは井伊先隊の軍兵たちが一様に感じた強迫的ストレスであった。ここで遅れをとっては、再び「男」として振舞うことはできないという恐怖である。
深い霧と、かすかに感じられる朱の大旗の数多の絹擦れの音が、往け往け!と追い立ててきたのである。但ここが重要である。寄手全軍にいまだ攻撃命令は発令されていない。
ここで右京は、思い切った行動に出た。
(続)
掲載史料の所蔵先は特に断り書きしない限り筆者所蔵に係り、
本稿は著作権法によって保護されています。
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