前後截斷録 第56回
安土城趾へ 1

南蛮兜 伝織田信長所用(ほぼ同型のものが、他に現存している)
前章「佐和山残照」のところでも書いていたと思うが、佐和山へ行く前に安土の城あとへ寄った。
別段のこともなかったけれど、これも書いておこう。
安土の城あとへはこれ迄何度通ったことだろう。学生時代から算えるとおそらく100回はこえているだろう。ここには、ふつうの場処にないあるとくべつな明るさと暗さがある。明瞭ではないが——、であるのに截然としてある。ここ、かしこ、至る所に、その明暗は突然顕然しすぐ暗転する。ナマの現実の風景の中に、幻であるはずの秀吉や利家の声音が聞こえたと思うと、木擦れの軋み、竹の破れる響きに忽ち掻き消されてゆく。

豊臣秀吉邸趾 (2021.11.14撮影)
——又左衛門尉(利家)どのの家来が脇指の小柄を喪ったらしい。筑前(秀吉)殿の門番までもが協力して落し物を捜してやっている。空は蒼いが、南風がきつい。「八つ頃から雨かのう・・・」秀吉の下人らしい男の呟きで、ハッと我にかえる。たしかに雨になるかも・・・。

安土城石段にて、石仏 (2021.11.14)
➖-----------------------------------------------➖
しかしその日は幸に、雨に逢わずにすんだ。

天守閣趾にて (2021.11.14)
城趾で、みんなが一様にみて悦ぶのは天守のあとだろう。今は整備されているが、近代のはじめの頃はこれが全体土中に埋れていた。
これの発掘をになった人々はさぞおのれの一挙一動に胸とどろかせ、地面を凝視(みつめ)つづけ、また掘りつづけたのだろう、この土の上に如何なる容(かたち)をした天守閣があったのか。いろいろ復原図が研究者によって呈示されているようだが、もちろんそれは想像上の復原図である。正体はわからない。わからないのが、またいいのである。
わたしは、天守台下の南側に広がる平地、今は雑木林になっているが、この場所に興味がある。ここはいわゆる御殿のあとである。ここに信長常在の居館があり、往時はここから天守閣へ直結する渡り櫓的なものが設けられていたという。天守とこの御殿とは合体した、ひとつ構えの防禦施設になっていたわけである。

天守閣趾にて、館長と学芸員 (2021.11.14)
(2022.05.27)

南蛮兜 伝織田信長所用(ほぼ同型のものが、他に現存している)
前章「佐和山残照」のところでも書いていたと思うが、佐和山へ行く前に安土の城あとへ寄った。
別段のこともなかったけれど、これも書いておこう。
安土の城あとへはこれ迄何度通ったことだろう。学生時代から算えるとおそらく100回はこえているだろう。ここには、ふつうの場処にないあるとくべつな明るさと暗さがある。明瞭ではないが——、であるのに截然としてある。ここ、かしこ、至る所に、その明暗は突然顕然しすぐ暗転する。ナマの現実の風景の中に、幻であるはずの秀吉や利家の声音が聞こえたと思うと、木擦れの軋み、竹の破れる響きに忽ち掻き消されてゆく。

豊臣秀吉邸趾 (2021.11.14撮影)
——又左衛門尉(利家)どのの家来が脇指の小柄を喪ったらしい。筑前(秀吉)殿の門番までもが協力して落し物を捜してやっている。空は蒼いが、南風がきつい。「八つ頃から雨かのう・・・」秀吉の下人らしい男の呟きで、ハッと我にかえる。たしかに雨になるかも・・・。

安土城石段にて、石仏 (2021.11.14)
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しかしその日は幸に、雨に逢わずにすんだ。

天守閣趾にて (2021.11.14)
城趾で、みんなが一様にみて悦ぶのは天守のあとだろう。今は整備されているが、近代のはじめの頃はこれが全体土中に埋れていた。
これの発掘をになった人々はさぞおのれの一挙一動に胸とどろかせ、地面を凝視(みつめ)つづけ、また掘りつづけたのだろう、この土の上に如何なる容(かたち)をした天守閣があったのか。いろいろ復原図が研究者によって呈示されているようだが、もちろんそれは想像上の復原図である。正体はわからない。わからないのが、またいいのである。
わたしは、天守台下の南側に広がる平地、今は雑木林になっているが、この場所に興味がある。ここはいわゆる御殿のあとである。ここに信長常在の居館があり、往時はここから天守閣へ直結する渡り櫓的なものが設けられていたという。天守とこの御殿とは合体した、ひとつ構えの防禦施設になっていたわけである。

天守閣趾にて、館長と学芸員 (2021.11.14)
(2022.05.27)
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