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前後截斷録 第53回


近況
——真贋の鑑定と評価——


                        (一)


 甲冑、武具及び古記録・古文書類専門の美術館を設けて二十数年も経つと、ヨロイやカブト、古い書や軸物の鑑定を依頼されることが多くなった。甲冑類は一ヶ月約五十領位はみるから、この数字はおそらく日本随一であろうと思う。
書いたものは古文書類、特に井伊家関係が主体になるが、なかでも断然多いのは井伊直弼である。直弼は一般的に自作の和歌を表具して軸物仕立にしているものが多いが、これに偽物が少なからずある。特に要注意なのは一文字や風袋に井伊家の家紋である橘や井桁を織りこんだ作品だ。

 昭和のある時期、筆者の小学生の頃、直弼の偽書を盛んに製造し、表装したものが作られた。某家にも、はじめから終わりまで全てこの手の偽物百本近くをコレクションしていたところがあったが、多分、今もそのままにあるのだろう。
 彦根の古い商家であったある家の売立目録の写真掲載品の中にも、とんでもない直弼の贋物が堂々と載せられてある。井伊家歴代中その書き物が最も高に売買されるのが直弼であるから、ニセモノが多いのも無理はない。
徳川四天王の筆頭とされる戦国人井伊直政の自筆は無いに等しい。

 筆者が経眼したところで確実なものは若神子陣(直政二十二歳)の時の覚書(大日本史料所収)、及び末期の遺言と、それに係る一書くらいのものである。もう一点、故末松修氏のところでみたものがあるが、これは井伊直政書状として正真であるが、古い記憶なので自筆かどうかおぼえがない。

家康朱印状
井伊直政自筆(徳川家康朱印状)


 直政の子で、のち兄直継のあと彦根の藩統を継いだ井伊直孝の自書もまず余り見ない。五十年位前米原の蓮華寺で展示してあるものを一点みたが、これはよかった。直孝の自書は家臣に直接与えたものであるから全部署名がない。用紙や字体、——書き癖を知らないとわからないが、それ以上に文章が力強い。筆者がこういうのは、直孝自筆を八十点以上収集した結果である。直孝の花押ある書状類は全て代筆、祐筆手になるものであって、その筆者は岡本半介や大久保新右衛門、三浦内膳等直孝近侍の重臣たちである。

直孝文書 1
井伊直孝書状①(自筆-案文)

直孝文書
井伊直孝書状②(自筆-案文)

直孝文書 2
井伊直孝書状(代筆)

 井伊家歴代中、最も能筆だったのは直政、奔放闊達なのはその子の直孝、そして難読、難解第一なのは直弼。この評価は私の中でかわることはない。それぞれに、その人の個性があらわれて面白いが、特に細心なのは直弼で、その律儀、几帳面さが、行間から溢れ出ていて、今もなお、読み直すたびに文言中の指示について「おれは気になって仕方ないんだ」と叫んでいるように感じる。

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井伊直弼絶筆
桜田遭難の数日前の公用私信。直弼文書中、最も乱筆・難読の書状(一部)


 はなしの入り口で、古い書きもの、特に因縁の深い井伊家の有名殿様の文字、文章についてふれてみた。次に本題のヨロイ、カブトの鑑査の件について書いてみたい。(R3.8.1)
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