前後截斷録 第52回
きょう、この頃
このコーナも大分ご無沙汰が続いている。
トシが年だけにどこかでくたばっているんじゃナカロカと思われてもいかんから、チョット、近況レポートを・・・。
とにかく余りにも忙しい。ヨロイカブト、刀剣武具の調査と撮影、『井伊直弼史記』の続編「—大老の真実—」稿の執筆、そしてこれまた「井伊直孝軍記」の史料調査と執筆。
一日がアッという間にすぎる。学校時代の同窓生の知人の中には、夕方は7時から寝て・・・またそして朝も寝て・・・ヒルも、というネコのような生活を送っているヤツがいるが、それもよくヤルなあと感心するけど・・・羨ましくはない。忙しいとボヤきながら、実は喜んでいるというのが正直なところ。このトシになると、忙しさに対応して、動けること自体大いに感謝しなければならんのだ。——こんな有難いことがあるのだろうか、と。
そんな中でも、強制的にオフの日を拵えて、仕事から離れる。労働で体力を使っていても、それは「運動」ではないので、休みの日は出来るだけ体を鍛えるつもりで近隣を歩く。建仁寺や東山知恩院界隈。大体3時間。散歩のつもりで周囲の風光を眺めながらウロウロする。

丸山公園しだれ桜の巨木を背に 2021.03
京都に来た40歳頃から20年間位は1日2時間「強歩」した。専門的ではないが、2時間早足で山坂を円山公園や近くの寺々を馳せ廻る。当時をふりかえると、矢張り若かったなァー。そして顧みて今の頽廃ぶりを思う。大型の飼犬五匹のリードを弓手(左)に一本にして、指揮用の木刀を馬手(右)に、霊山さんの道を濶歩したのは、あれはもはや幻か!泉下の犬共は、蓋し俺の来るのを待っておるヤロナ。簡単には倶会一処とはならぬ!

長野主膳ゆかりの青蓮院 2021.3
40年は一睡の夢と化(な)りつつある。東山を1時間もあるくと、自分でも気付くが足許が、大袈裟にいえば滄浪となっている。音もなく寄ってくる近頃のクルマは危険だ。危い、アブナイ。
足腰の堅固で素速しこい秘書子がついて来てくれるので、万一の安心はあるものの、一人では何もできないおのれ自身を時折客観視すると、お先は暗い。
結婚はしているが、殆ど単身にちかいくらしをしている大学教授を知っている、この人は料理から掃除、センタクまで身の廻りのことは何でも自分でやる。ワタシのようなものからみるとまるで天才である。自分もやれば、料理の感覚など悪くないので、出来る筈——という自信があるが、その余のことはダメである。
足許が覚束なくなると、いつもお決まりの喫茶店。行動範囲の中に、何軒か休み庭がある。
ここで暫く、茫漠とした一刻を過ごしたら、再び現実に戻って歩く。我流の柔軟体操、四股を踏むのは大抵その辺の神社の瑞垣(みずがき)のあたりだが、つい先日、粟田神社の石段の脇に文字を彫った台石のようなものをみつけた。年号を読むと「文五乙巳暦七月吉日」とある。

粟田神社階段横、石灯籠基石の彫年号
干支で調べたら、年紀は寛文5年である。京洛ではこのように忘れられた歴史の道標が至るところにあって、散歩してもいつも新鮮で退屈することはない。
(続く)
2021年4月15日
このコーナも大分ご無沙汰が続いている。
トシが年だけにどこかでくたばっているんじゃナカロカと思われてもいかんから、チョット、近況レポートを・・・。
とにかく余りにも忙しい。ヨロイカブト、刀剣武具の調査と撮影、『井伊直弼史記』の続編「—大老の真実—」稿の執筆、そしてこれまた「井伊直孝軍記」の史料調査と執筆。
一日がアッという間にすぎる。学校時代の同窓生の知人の中には、夕方は7時から寝て・・・またそして朝も寝て・・・ヒルも、というネコのような生活を送っているヤツがいるが、それもよくヤルなあと感心するけど・・・羨ましくはない。忙しいとボヤきながら、実は喜んでいるというのが正直なところ。このトシになると、忙しさに対応して、動けること自体大いに感謝しなければならんのだ。——こんな有難いことがあるのだろうか、と。
そんな中でも、強制的にオフの日を拵えて、仕事から離れる。労働で体力を使っていても、それは「運動」ではないので、休みの日は出来るだけ体を鍛えるつもりで近隣を歩く。建仁寺や東山知恩院界隈。大体3時間。散歩のつもりで周囲の風光を眺めながらウロウロする。

丸山公園しだれ桜の巨木を背に 2021.03
京都に来た40歳頃から20年間位は1日2時間「強歩」した。専門的ではないが、2時間早足で山坂を円山公園や近くの寺々を馳せ廻る。当時をふりかえると、矢張り若かったなァー。そして顧みて今の頽廃ぶりを思う。大型の飼犬五匹のリードを弓手(左)に一本にして、指揮用の木刀を馬手(右)に、霊山さんの道を濶歩したのは、あれはもはや幻か!泉下の犬共は、蓋し俺の来るのを待っておるヤロナ。簡単には倶会一処とはならぬ!

長野主膳ゆかりの青蓮院 2021.3
40年は一睡の夢と化(な)りつつある。東山を1時間もあるくと、自分でも気付くが足許が、大袈裟にいえば滄浪となっている。音もなく寄ってくる近頃のクルマは危険だ。危い、アブナイ。
足腰の堅固で素速しこい秘書子がついて来てくれるので、万一の安心はあるものの、一人では何もできないおのれ自身を時折客観視すると、お先は暗い。
結婚はしているが、殆ど単身にちかいくらしをしている大学教授を知っている、この人は料理から掃除、センタクまで身の廻りのことは何でも自分でやる。ワタシのようなものからみるとまるで天才である。自分もやれば、料理の感覚など悪くないので、出来る筈——という自信があるが、その余のことはダメである。
足許が覚束なくなると、いつもお決まりの喫茶店。行動範囲の中に、何軒か休み庭がある。
ここで暫く、茫漠とした一刻を過ごしたら、再び現実に戻って歩く。我流の柔軟体操、四股を踏むのは大抵その辺の神社の瑞垣(みずがき)のあたりだが、つい先日、粟田神社の石段の脇に文字を彫った台石のようなものをみつけた。年号を読むと「文五乙巳暦七月吉日」とある。

粟田神社階段横、石灯籠基石の彫年号
干支で調べたら、年紀は寛文5年である。京洛ではこのように忘れられた歴史の道標が至るところにあって、散歩してもいつも新鮮で退屈することはない。
(続く)
2021年4月15日
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