前後截断録 第34回
松平直壽氏を悼む②
私は茶の湯は一切門外漢である。深い理由は何もないが、強いていえば細い作法が苦手だからかも知れない。
しかし、そんな癖に簡易な茶室は美術館の一隅と宅の方へ二つ拵えた。いずれも何十年もむかしのことであるが、二庵とも一度も使ったことはない。ただ、茶の湯の趣一というとむつかしいが、時代の匂いに憧れるところがあって、このような余計な造作をしたのであろう。
宅の方のは利休の妙喜庵、窮極の二畳台目を真似して造ってもらった。ここへ、知人のもっていた「大内肩衝」なるものを飾っていたとき、偶然直壽氏が御内室と一緒に来られた。
氏はその肩衝の茶入、大内といっても周防の大内氏に係りあるか否か正体不明のものだが、丁寧にご覧になって、大変感心されたので、私は大いに恐縮した。
そんなこんなをあげればキリがないが、もうひとつ、松平直政が兄忠直から大阪陣の直前大津で対面して頂戴したという鹿角脇立の兜、これは寄託品であったがこれは、父が飾っていたことを覚えていると仰有った。こういう時、一寸も殿様ぶりの勿体づけは一切なく、ごく気楽に楽しそうに笑われて、「……十年ぶりか、まさかの対面ですよ!」悦ばれた。その時、遠州蔵帳の中味の話もいろいろ聞かされたが、茶道具の世界なので記憶に残っていない。しかし、貴重な談話のいくつかはまだ人に話さず記憶にとどめている。今後もそれは忘れることはないだろう。直壽氏の長逝を心から追悼申しあげたい。

鹿角脇立頭形兜(松平直政所用—松平忠直贈遣—松江松平家伝来)
私は茶の湯は一切門外漢である。深い理由は何もないが、強いていえば細い作法が苦手だからかも知れない。
しかし、そんな癖に簡易な茶室は美術館の一隅と宅の方へ二つ拵えた。いずれも何十年もむかしのことであるが、二庵とも一度も使ったことはない。ただ、茶の湯の趣一というとむつかしいが、時代の匂いに憧れるところがあって、このような余計な造作をしたのであろう。
宅の方のは利休の妙喜庵、窮極の二畳台目を真似して造ってもらった。ここへ、知人のもっていた「大内肩衝」なるものを飾っていたとき、偶然直壽氏が御内室と一緒に来られた。
氏はその肩衝の茶入、大内といっても周防の大内氏に係りあるか否か正体不明のものだが、丁寧にご覧になって、大変感心されたので、私は大いに恐縮した。
そんなこんなをあげればキリがないが、もうひとつ、松平直政が兄忠直から大阪陣の直前大津で対面して頂戴したという鹿角脇立の兜、これは寄託品であったがこれは、父が飾っていたことを覚えていると仰有った。こういう時、一寸も殿様ぶりの勿体づけは一切なく、ごく気楽に楽しそうに笑われて、「……十年ぶりか、まさかの対面ですよ!」悦ばれた。その時、遠州蔵帳の中味の話もいろいろ聞かされたが、茶道具の世界なので記憶に残っていない。しかし、貴重な談話のいくつかはまだ人に話さず記憶にとどめている。今後もそれは忘れることはないだろう。直壽氏の長逝を心から追悼申しあげたい。

鹿角脇立頭形兜(松平直政所用—松平忠直贈遣—松江松平家伝来)
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