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前後截断録 第32回

須賀谷・小谷へ

 五月はなかば湖北の温泉須賀谷へ行った。はじめたづねて以来四十数年ぶりの再訪である。その頃はまこと田舎のひなびた限りの隠れ里温泉で、叢林のなかを鹿のむれが跳んでいた。今は世間にも知られて、宿は殆ど満員の活況を呈している。今昔の感にたえない。
 目的は懐かしい湯にもう一度入っておきたいーーーという単純至極なものであって、建物も装いを新たに、往時とは全く異なっている筈だが、たしか簡易建物であったという覚えがあるだけで、浴場そのものにも全く記憶がない。濁り湯であったことすら、覚えていなかった。
 湯の宿は、戦国の雄浅井氏三代の拠点小谷城址の山麓にある。この城址へは温泉へゆくより数多く訪ねているが、ここ十年ほどは御無沙汰している。
 そんなことを宿の人に話したら、御案内してもいいですよといって下さった。いくら宿から近いといっても徒歩での城跡の山下までゆくさえ大ごとである。これは有難いと思って御好意に甘えることにした。その日の天気もやや強い風があったがよかった。

 ーーー

 近頃の私は、かつて尋ねた史的旧跡を再訪することを「巡礼」と秘かに称している。自身の生涯をもう一度確かめたいのである。もはや振り返るに早すぎることはない。
 佐和山城址は三年前に訪ねた。ここは地元彦根第一の古城あと、幼少時からかぞえるとおそらく百回以上は登城した筈だが、このときは彦根とは逆、鳥居本の大手口から行った。大手から頂上本丸迄は搦手彦根側からゆくより道が遠い。
 六角佐々木氏の本拠観音寺を山下から本丸頂上まで徒歩したのは二十年以上もむかしのこと、車で行ったのは八年程前。細く蛇行した道を五個荘(山の東)の方から走ったが、車が大きかったのでヒヤヒヤ。到着したときはホッとした。帰りも同じ思いをした。城址巡礼とすれば第三番目となる。
 因みに彦根城は数にかぞえない。余りにも近くて、親しみすぎているからである。

 ーーー

 小谷の城あとへ登っていつも感じることがある。それは明晰にはことばであらわせない。いってみれば山気、山中からわき出るサンキである。凄惨な気配がある。同じく落城した佐和山や観音寺、あるいは安土などにこの気配はない。
 ところが私はこの凄惨な一種の山の妖気が嫌いではない。とくにそれを感じるのは本丸黒鉄門前の首据石のところである。大人の胸位まである石で上辺が扁平になっている。たしかにこの上に首をおいたら、すわりがよさそうである。
 小谷城の歴史にはとんと素人だから何も知らないが、この上に浅井家に叛いた今井某(?)の首を曝したところからそのようにいわれるようになったそうだが、史実か否かは知らない。しかし、伝説にせよここに立つとほんとに怖い気配を感じる。
 少年の頃真夜中の佐和山城址や彦根城に登って(その頃は夜間出入りが自由であった)肝試しをしたことがあるが、小谷城のこの場所はいけない。おそろしい。日中でも風雨が激しかったら一人では自信がない。私の経験したおそろしい場所の筆頭はこの場所である。しかしまたこわいものみたさで丹念に巡礼してみておきたいのも、この場所だ。
 このたびは須賀谷温泉様の御好意で思わぬ小谷城址への巡礼が叶った。夜のJRの駅は無人、自由往来システムで寂莫たる風景、昼の風の名残があった。高見順の詩が思い返された。

がらんとした夜のプラットホーム

なぜか私ひとりがそこにいる
乾いた風が吹いてきて
まっくらなホームのほこりが舞いあがる
汽車はもう二度と来ないのだ
いくら待ってもむだなのだ
永久に来ないのだ
それを私は知っている

「汽車は二度と来ない」より抜粋
『三十五歳の詩人』
(中公文庫 昭52年)

こんな気分に一瞬鄙びた田舎の駅で浸れるのも、詩人の心境ではない幸福な老人ゆえ実に贅沢である。

於市恋し 小谷哀しや 須賀谷の湯



千畳敷井戸跡探索

千畳敷井戸跡探索

本丸櫓跡より千畳敷を望む

本丸櫓跡より千畳敷を望む

小谷城古図(井伊美術館蔵)

小谷城古図(井伊美術館蔵)

首据石に触れて

首据石に触れて
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