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前後截断録 第31回

西郷家の怨霊(3)
〜つきまとった幽霊〜

 西郷正員といえば遠州の土豪の裔で、徳川の遠州攻略のあと家康に属し、天正十年木俣守勝らと共に若き井伊直政の後見となった人物である。
 この正員の奥方が怨霊になったということは、彼女が理不尽な死を遂げたということになる。つまり非業の死を遂げた。その加害実行者はおよそは夫の西郷正員であったということになる。となるとその理由も多少忖度してみたくなる。
 西郷正員が妻を害するに至ったそのわけは、いろいろあろうけれど、大別すれば以下の二つに括られるだろう。

   ①姦通
   ②妻との性格不一致。諍論。

①の姦通は問答無用である。風評の範囲でも、拡散してしまうと処分するしかない。要するにもののふの男道を汚されては面目が立たない。もうひとつ、嫌疑をかけられた場合、妻の自害ということもある。
②は、奥山親朝の女(むすめ)たちをみてみると、嫁ぎ先を見て気がつくことがある。長女は井伊直親の室(井伊直政の母)、次は井伊一族の中野越後守、三が正員の妻、主人公である。四が新野左馬助、五が菅沼淡路。六が鈴木石見守。
 夫となった人々はいずれも乱世の先頭をきって生きてきた人物ばかりで、井伊直親は謀殺、中野、新野は今川時代に戦死。生き残ったのが西郷、菅沼、鈴木だが、鈴木、菅沼は勇猛一点張り、その中で西郷は史僚タイプの最も温順な性格の人物である。
 いずれもこれらの妻室となった女達は温和しいタイプではなく、男勝りの熱く激しい人々であったと思われる。
 以上の二点の原因要約のうち、そのいずれが根本原因なのかわからないが、西郷正員の妻は怨念を抱いて殺され、西郷の家に祟った。それがいつ頃の事件で、その祟りがいかなるものでったかは明らかではない。いかにも茫々、朦朧としているから余計真実味を感じるし、興味が湧くのである。
 これらのことを西郷家の歴史事実の内に挿みこみ、検討してみても、何も記していない。西郷正員の妻が怨霊となった真の原因など正史の裏面のことだから何も表面化していないのである。
 問題は事件がいつおこったかである。西郷正員は、はじめ藤左衛門といい、遠州にいたが、家康によって井伊直政に附属され直政の佐和山就封と共に近江へ来たが、既にその頃は老齢隠居の身で、伊予守と称し、慶長九年に死んだ。
 西郷家の本系図を持っていないので、年齢など不詳だが、おそらく60才以上であったであろう。その辺りから逆算すると、妻女の切害は、藤左衛門正員がまだ若壮年期であった遠州在住時代と考えた方が自然である。とすると妻の亡霊が祟り出したのは、彦根移住以前で、それも西郷家に祟ったということを考えると二代目の勘兵衛員吉(この人物は関ヶ原以後、鈴木石見・主馬らと井伊家中を二分して争った彦根騒動の一方の首魁である)とは母親違いであったことを傍証させる。つまり豪族奥山親朝の女の怨霊は遠州~佐和山~彦根へと、西郷氏の移住と共にずっとつきまとって来たことになる。

 ーーー

 ここではじめに書いた西郷邸埋設の梵字石(供養石)のことを思い出してもらいたい。西郷家の子息を不注意で死なせて怨霊となった女中の一件である。これは単なるお話にすぎないかも知れないと書いた。事実現今、西郷邸址とされる場所に西郷氏が来たのは、享保六年(1721)以降、つまり井伊直惟治世時代の御噺であって、それ以前は藩の第二老庵原主税助の屋敷であった。木俣守盈(もりみつ)よって糾弾され庵原と三浦与右衛門両家老が失脚したあと、西郷は主命により空屋敷となった庵原邸へ屋敷替えとなったのである。
 普通に考えると、梵字を書いた小石群は、西郷氏以前庵原氏邸の頃かあるいはそれ以前のものである可能性があるわけだ。
 新野家の記録にある奥山氏の女の怨霊は、直政、直孝、直澄三代に仕えた天下著名の軍師岡本半介宣就が鎮めたというが、それが事実なら怨霊は顕密両道を極めた修験の人である岡本宣就によって成佛させられ再びは祟りをなされなかったことになる。しかし藩の正史には一切そのような記録はのこされていない。実はその後もさかんに祟り続けたかも知れないのだ。新野の由緒書の一項は祟りの終焉を感じさせない雰囲気がある。
 江戸時代、特に前期の歴史の裏面においては、何処の藩にでもこのような怪異譚が伝説されている。それらのいずれもが今や忘却の彼方に沈み消え去ろうとしている。単なる迷信のひとつ噺として終らせるのは残念に思うので、少し長い話になったが記してみた。私は西郷家本家の御方を知らない。改めて怨霊となった奥山氏女、西郷正員の妻の冥福を祈りたい。

供養石 表 供養石 裏
心経書込供養石(4.5cm × 3.3cm)

佐和山法度(直政・諸給方仕置状)切り抜き
井伊家老職西郷伊予守正員のサイン
(井伊直政仕置状より)

新野左馬助親矩由緒
『新野親矩(規)由緒』中の怨霊記録
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