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前後截断録 第30回

脇家の長屋 ―井伊家重臣―

 彦根城の内郭に残存する井伊家重臣の旧邸で、その一部でも遺されているもののひとつに脇家(通称五右衛門または内記)の長屋がある。他には同じく重臣の西郷家の長屋門と薬医門があるが、その他にはもうない。ここで取り上げるのは、堂々たる威風を今に示している西郷家の文化財建造物ではなく、脇家の長屋についてである。


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現在の残存長屋(平成28年撮影)


 私は青年時代のある期間、毎日、この長屋を眺めて暮らしたことがある。この長屋の隣が、旧制彦根第一中学校――当時滋賀県立彦根東高等学校の広大な校域で、脇家の長屋の端が芝生の校庭に接してい、私は暇があると芝生に寝転んで呆っとしたり読書したりしていた。結構この時間は今から思えば私にとっての人生の大切な一刻であった。
 長屋といっているが、のこされていたのは実は長屋門の右端の一部である。
 二、三千石の家老となると豪勢なものであるが、私はこの長屋の端にしつらえられた格子造りの窓が気に入っていた。この窓は二階造りの構造になっている海鼠壁(なまこかべ)の上端部にある。いわゆる見下し(みおろし)の窓で、通常ここから外を見ると、通行人を見おろすかたちになるので、大抵は閉じられていたものである。なぜならここは脇家の家来でも「軽い者」、足軽や中間小者たちの官舎だったからだ。
 校庭の芝生にねころがっていた時間は、たぶん昼休みか剣道部の練習のあと、または放課後のフリーの時間であったと思えるが、その時間がそれぞれいかほどであったかについては、もはや記憶がない。ただあきらかに覚えているのは、そういった時のどこかで必ず一度濠端に出て、気に入りの窓を眺めた。ただ竹格子を打ちつけた、見ようによっては変哲もない古窓に過ぎないが、それを見ていると理由なく心が慰藉された。この窓の内には、さぞかし多くのドラマが生滅してきたのだろう。それを根拠なく懐古していると時間を忘れ、日を忘れ、自身をも忘却するような錯覚に陥ったものである。

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写真中央あたり、脇家表門長屋の全景がかすかながら見える。
(明治の古写真から)


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 今も彦根に戻ると、できる限り時間を作って城の内郭の周囲を車で一周するようにしている。そして必ず、この長屋の窓の一瞥を怠らない。竹格子が大分古びているが、あれは高校時代のままであろうか。半世紀はたっている。おそらくそのままだろう。一体内部はどうなっているのだろう。気にしたところでどうしようもない、自分を含めた史的妄想が限りなく続く。つまり、それゆえに私はこの窓が好きなのである。


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大手側、鐘の丸下犬走りのむこうに長屋の端の一部が見える。
問題の窓も……
(昭和40年はじめ、筆者撮影)


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残存長屋(昭和40年はじめ、筆者撮影)


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竹格子の窓。
フッと触ったら忽ち崩れそうに頼りげない格子が印象的。


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隣接の彦根東高等学校旧校舎
(東高発行の古栞、昭和33年当時)


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彦根藩侍屋敷絵図から
(昭和47年筆者所蔵古図復刻版)
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