前後截断録 第23回
やっと出来た『井伊直弼史記ー若き日の実像ー』
タイトルの書物のことは、HP上、いろいろなところで既に紹介されているから、いまさら更にくどくどしく追加することもない筈である。しかしできの悪い息子ほど何とやらで、いろいろ言い訳にちかい挨拶をしたいもので、以下の述べることは、およそ、まあそういうことである。
「井伊直弼の研究」という課目は、大概していえば明治以来かなりなされてきたようであるけれど、幕末史における旧体制側の主人公的主要人物であったにしては、なおその研究はかなり観念的で空疎であるやに思われる。いってみれば、人間直弼の人物解析に迫ったものがないのである。たとえば、直弼と武道についても、実態考究をしたものはない。全て史料の題目だけを信じた結果の単純解説で終わっている。仏道についても亦然りである。
二十代後半から、私は既成の直弼本の大抵について右のような不満を抱いていた。史料収集に一定の目的をもちはじめたのもその頃からである。
そもそも「井伊直弼」という人物をいつから意識したのであろうかーと、ときおり思い返すことがある。そんなとき決って古い記録映画のようなノイズだらけのモノクロのシーンが泛び上ってくる。
中学一年のホヤホヤ、日本史の最初の授業の時だった。
担任の藤本という先生が教壇に立つなり
————この中で、イイナオスケと漢字で書ける人いるかナ?
ときいてきた。手をあげなさいということである。私は手をあげた。度胸が要ったが黒板の前に立ち、
井伊直弼
と、書いた。
————マア、よく書けましたね。
先生はそんな褒辞をくれた。
その頃はナマイキの全盛であったから、この位のこと書けなくてどうするんじゃーと軒昂たる意気であったが、直弼を意識しはじめたのはこのことがとっかかりではなかったかと思われる。
キミマロさんの漫談ではないが
————-それから50年。その間、一人前に無頼放蕩の期間が結構あったから、きっかり、まじめに50年も直弼さんと密着していたわけではないが、それでも忘れずにとりついて、どうやら、このたびの暁日をむかえることになった。
先に観念的で空疎であるーと、これまでの先生方の研究を総括したようにいったが、要は史料をさんざん使ったわりには、直弼の声や体つきが、体臭がわからない。直弼が立ち上ってこないと思うからである。その無念の思いを私は少しは晴らせたのではないかと、ひそかに思うのである。但、自分勝手に独り決めしたものだから公証性はない。
ともかく、よし、読んでやろう!と気概のある人は是非とも一読たまわりたいのである。

タイトルの書物のことは、HP上、いろいろなところで既に紹介されているから、いまさら更にくどくどしく追加することもない筈である。しかしできの悪い息子ほど何とやらで、いろいろ言い訳にちかい挨拶をしたいもので、以下の述べることは、およそ、まあそういうことである。
「井伊直弼の研究」という課目は、大概していえば明治以来かなりなされてきたようであるけれど、幕末史における旧体制側の主人公的主要人物であったにしては、なおその研究はかなり観念的で空疎であるやに思われる。いってみれば、人間直弼の人物解析に迫ったものがないのである。たとえば、直弼と武道についても、実態考究をしたものはない。全て史料の題目だけを信じた結果の単純解説で終わっている。仏道についても亦然りである。
二十代後半から、私は既成の直弼本の大抵について右のような不満を抱いていた。史料収集に一定の目的をもちはじめたのもその頃からである。
そもそも「井伊直弼」という人物をいつから意識したのであろうかーと、ときおり思い返すことがある。そんなとき決って古い記録映画のようなノイズだらけのモノクロのシーンが泛び上ってくる。
中学一年のホヤホヤ、日本史の最初の授業の時だった。
担任の藤本という先生が教壇に立つなり
————この中で、イイナオスケと漢字で書ける人いるかナ?
ときいてきた。手をあげなさいということである。私は手をあげた。度胸が要ったが黒板の前に立ち、
井伊直弼
と、書いた。
————マア、よく書けましたね。
先生はそんな褒辞をくれた。
その頃はナマイキの全盛であったから、この位のこと書けなくてどうするんじゃーと軒昂たる意気であったが、直弼を意識しはじめたのはこのことがとっかかりではなかったかと思われる。
キミマロさんの漫談ではないが
————-それから50年。その間、一人前に無頼放蕩の期間が結構あったから、きっかり、まじめに50年も直弼さんと密着していたわけではないが、それでも忘れずにとりついて、どうやら、このたびの暁日をむかえることになった。
先に観念的で空疎であるーと、これまでの先生方の研究を総括したようにいったが、要は史料をさんざん使ったわりには、直弼の声や体つきが、体臭がわからない。直弼が立ち上ってこないと思うからである。その無念の思いを私は少しは晴らせたのではないかと、ひそかに思うのである。但、自分勝手に独り決めしたものだから公証性はない。
ともかく、よし、読んでやろう!と気概のある人は是非とも一読たまわりたいのである。


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