前後截断録 第17回
清凉寺へ

島左近遺愛伝説のタブの老樹を背に
常に身近な存在に対して、人はその視線をおろそかにしやすいものである。
それは対象が人であれ、ものであれ同じように思う。
たとえば両親や友人、名所風景など。
いつでも見られる、会えるということに油断して、つい、つき合いをおろそかにしてしまっていた――ということに過ぎ去ってから気付くのだ。
「清凉寺」という歴史的風姿に対するこれまでの私の視線についても同じことがいえる。
幼年から青年期における清凉寺というこの寺の私の内に占める位置は小さくない。
この秋、久々に清凉寺さんを訪れることが出来た。
訪れる――というのは周縁をみるということではなく、文字通り御寺を訪ねたという意味である。
今年も残日わずかだが、今年中の記しておくべきできごとのひとつとして書いておきたい。この続きは年が明けてからゆっくりお話することに。

島左近遺愛伝説のタブの老樹を背に
常に身近な存在に対して、人はその視線をおろそかにしやすいものである。
それは対象が人であれ、ものであれ同じように思う。
たとえば両親や友人、名所風景など。
いつでも見られる、会えるということに油断して、つい、つき合いをおろそかにしてしまっていた――ということに過ぎ去ってから気付くのだ。
「清凉寺」という歴史的風姿に対するこれまでの私の視線についても同じことがいえる。
幼年から青年期における清凉寺というこの寺の私の内に占める位置は小さくない。
この秋、久々に清凉寺さんを訪れることが出来た。
訪れる――というのは周縁をみるということではなく、文字通り御寺を訪ねたという意味である。
今年も残日わずかだが、今年中の記しておくべきできごとのひとつとして書いておきたい。この続きは年が明けてからゆっくりお話することに。
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