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前後截断録 第1回

-前口上-

 井伊可能斎述

道元は「春の夏となると思う勿れ」といって「前後截断」を説いた。この解釈は簡単だが、納得と了知は凡人の我々には殆どできない。そんな面倒ごとはここではしない。要は本稿のタイトルが単純にこれに因んでいるのだということをいうがためである。つまり話の中身の順序が前後符合しない。いわばいいたいことを前後の脈絡なく放語するけれど、「蒙御免」ということである。思イツキズム、イキアタリバッタリズムの大安売りと思召されたい。しかし中味は結構重いことになるかも知れぬ。それゆえ、話は歴史や甲冑や刀剣とばかり限らない。だから思いッ切り天衣無縫・無碍自在といきたいのだが・・・さてどうなるやら。

ところで朱鬼舎ないし可能斎という筆者の別称、風流号である。「朱鬼舎」は「あかおにのや」と読んでほしい。井伊の赤備えの本元であるから。これに「数寄者」をかけておる。「可能斎」?!これは瞬間オモロイこと考える御仁もおるじゃろう。そんなことはここでは関係ない。わが郷土彦根の先学に中村不能斎という歴史学の大先輩がおった。家禄は300石以下の平士であったが、これがなかなかの硯学であった。幕末の人でナ、井伊直弼を肉眼でみた人や。どこにでもおるつまらん奴のザン言にあって罪をうけ退けられたが、それから一切門外に出ず歴史の研究に余生を尽したという、骨のある頑固なエライ人やった。志があるというのはこういう男をいう。つまり不能斎という号のゆらいは、ここまで書いてみるとわかるだろう「大丈夫」の話である。つまり孟子の「富貴不能淫。貧賤不能移。威武不能屈。此之謂大丈夫」からきておる。拙者は左様なエラそうな史言を号にする程心身に覚悟はない。その逆であろうと思っているから「可能斎」である。ゆとりがあって調子よろしい。と、申したところで、拙者なりに不能斎の志はどこかで嗣いで、まことの可能斎の線まで行けないものかと念じておる次第じゃテ。以上前言として。贅言多謝。
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