前後截断録 第43回
家康像に因んで
——人生・夢のスタイル——

備前勝政作 徳川家康坐像
ごらんの通り、徳川家康の像である。備前焼の勝政作とあるが真偽は知らない。それはどうでもいいことである。掌に乗せるには少し大きい座像である。
焼物は嫌いではないが、打込むほどの執念もない。どこかで歴史に係るような、たとえば某拝領の呂宋壷とか、史的有名人の所用品、あるいは自作の茶碗など。それは面白いが、真物はそこいらに簡単に転がってはいない。若い時古い壷にはまったことがあった。信楽や伊賀、丹波ものである。これも二十代の時は時折掘り出しがあって、あけくれ、つぼ、ツボ、壷々・・・といっていたが、いつの間にかキツネは落ちた。
いま手許で大事にしているものの代表は、井伊直弼自作の楽茶碗ひとつである。これは実用品ではなく「歴史資料」としてもっている。直弼にとって最も代表的な作品で、これまで行方が謎とされていたが、奇縁で私のところへ来た。この茶碗のことは機会があったらふれるつもりなので、今は措く。
ところで、この陶製の家康の像である。どこで購ったのか、もうそれも忘却の彼方であるが、久しく茶室(一度も茶席を設けたこともない)の奥に箱に入ったまま放置されていたものである。去年の大晦日、掃除をしていた時発見した。
いまこれを改めてみてみると、作者に失礼だが、まんざらでもない。
小肥りの躰を小袖に包み、胡坐をかいてゆったりと脇息に凭れかかった姿には、おのが人生に対する自信と余裕が感じられる。信長が本能寺に斃れたあと、織田氏の羈絆を脱し、秀吉と小牧長久手に戦って敗れなかった天正十二年、四十三歳の頃か、と考えてみたがどうか。
両眼を柔らかく閉じ右手の扇子を膝もとに、左手で耳朶を揉んでいる。家康はリラックスしたり、思案に耽るとしばしば耳朶に手をあてたという。この辺のエピソードを作者はよく承知して表現している。
さて、この家康は何事に思いを馳せているのだろう。鬢髪いまだ黒く、髻高く結い上げた豊頰の円満相には、既に具足された栄光の未来が仄見える。表情とは裏腹に肚中には図り知れぬしたたかさが隠されている筈だ。
日本史上、家康ほどおのが人生を忍耐強く生きた人を知らない。この像はあく迄想像の産物だが、いろいろ考えさせられる。見ていて飽きない。この格好はわが憧憬、夢のスタイルである。
日々の匆忙に紛れて足許を忘れかけたとき、折角見出したのだからこの家康に対面して一碗を喫すべきだが、それが叶う余裕がもてるかどうか。ともかく余生はしなやかに、あるいは屈強に、家康さんに遠く及ばないが忍耐強く生きたい。㐂寿を踰えての感慨に、自賛して一盞。
(二年正月三日)
——人生・夢のスタイル——

備前勝政作 徳川家康坐像
ごらんの通り、徳川家康の像である。備前焼の勝政作とあるが真偽は知らない。それはどうでもいいことである。掌に乗せるには少し大きい座像である。
焼物は嫌いではないが、打込むほどの執念もない。どこかで歴史に係るような、たとえば某拝領の呂宋壷とか、史的有名人の所用品、あるいは自作の茶碗など。それは面白いが、真物はそこいらに簡単に転がってはいない。若い時古い壷にはまったことがあった。信楽や伊賀、丹波ものである。これも二十代の時は時折掘り出しがあって、あけくれ、つぼ、ツボ、壷々・・・といっていたが、いつの間にかキツネは落ちた。
いま手許で大事にしているものの代表は、井伊直弼自作の楽茶碗ひとつである。これは実用品ではなく「歴史資料」としてもっている。直弼にとって最も代表的な作品で、これまで行方が謎とされていたが、奇縁で私のところへ来た。この茶碗のことは機会があったらふれるつもりなので、今は措く。
ところで、この陶製の家康の像である。どこで購ったのか、もうそれも忘却の彼方であるが、久しく茶室(一度も茶席を設けたこともない)の奥に箱に入ったまま放置されていたものである。去年の大晦日、掃除をしていた時発見した。
いまこれを改めてみてみると、作者に失礼だが、まんざらでもない。
小肥りの躰を小袖に包み、胡坐をかいてゆったりと脇息に凭れかかった姿には、おのが人生に対する自信と余裕が感じられる。信長が本能寺に斃れたあと、織田氏の羈絆を脱し、秀吉と小牧長久手に戦って敗れなかった天正十二年、四十三歳の頃か、と考えてみたがどうか。
両眼を柔らかく閉じ右手の扇子を膝もとに、左手で耳朶を揉んでいる。家康はリラックスしたり、思案に耽るとしばしば耳朶に手をあてたという。この辺のエピソードを作者はよく承知して表現している。
さて、この家康は何事に思いを馳せているのだろう。鬢髪いまだ黒く、髻高く結い上げた豊頰の円満相には、既に具足された栄光の未来が仄見える。表情とは裏腹に肚中には図り知れぬしたたかさが隠されている筈だ。
日本史上、家康ほどおのが人生を忍耐強く生きた人を知らない。この像はあく迄想像の産物だが、いろいろ考えさせられる。見ていて飽きない。この格好はわが憧憬、夢のスタイルである。
日々の匆忙に紛れて足許を忘れかけたとき、折角見出したのだからこの家康に対面して一碗を喫すべきだが、それが叶う余裕がもてるかどうか。ともかく余生はしなやかに、あるいは屈強に、家康さんに遠く及ばないが忍耐強く生きたい。㐂寿を踰えての感慨に、自賛して一盞。
(二年正月三日)
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